クリニックの事業承継は、一般の会社の承継より複雑です。なぜなら、引き継ぐべきものが「医院(診療を続ける主体)」「法人(経営権)」「財産(資産)」の3つに分かれ、しかもそれぞれ承継できる人が違うからです。医院は医師にしか継げない、法人の経営権は誰に渡すか、財産は相続人みんなで分ける── この3つを切り分けて考えないと、承継は必ずどこかで行き詰まります。このページでは、3つの承継の整理と、その備えとしての退職金の活用を、医業経営支援30年超の湯沢会計事務所が解説します。
「跡継ぎ問題」とひとくくりにせず、誰が何を継ぐのかを3つに分解することが、すべての出発点です。
診療を続ける後継の医師(管理者)。これは医師にしか継げません。子・親族・第三者(M&A)・勤務医のいずれかになります。
医療法人・一般社団法人の経営権(理事長・代表理事)を継ぐ人。法人格や非営利性のルールにより、継げる人が変わります。
自宅・預貯金・有価証券などの個人財産を継ぐ相続人。配偶者やお子さま全員が対象で、遺産分割と相続税の問題になります。
難しいのは、この3つが必ずしも同じ人にならないことです。例えば、医師である長男が医院と法人を継ぐ一方、医師でない次男・長女にも財産を分けなければなりません。医院・法人を継ぐ長男に資産が集中すると他の子の取り分が減り、逆に財産を平等に分けると医院の事業基盤が崩れる── この「事業を継ぐ子」と「継がない子」の間の不公平こそ、医院承継の最大の難所です。3つを切り分けて、それぞれに最適な人と方法を当てはめていくのが、承継対策の本質です。
医院(診療所)の管理者は医師でなければなりません。したがって医院そのものを継げるのは医師だけです。選択肢は4つです。
重要なのは、「子が継いでくれるはず」という思い込みで対策を先送りしないことです。お子さまの意思を早めに確認し、継がない場合はM&Aを含めた別ルートを早期に検討します。後継者の有無が、法人・財産の承継方針すべてを左右します。
法人の経営権(理事長・代表理事の座と、法人の支配権)を誰に渡すかは、法人格によってルールが大きく異なります。
| 法人格 | 経営権を継げる人 | 承継のポイント |
|---|---|---|
| 医療法人 | 理事長は原則医師・歯科医師 | 後継者は医師に限られる。2007年以降設立の法人は「持分なし」のため出資持分の相続問題はないが、それ以前の「持分あり」法人は出資持分の評価額が高額になり相続税の大問題になる(後述の認定医療法人制度で対応) |
| 一般社団法人 | 誰でも可(医師要件なし) | 承継者を選びやすく、目的を変えれば医療以外への転換も可能。非営利型なら法人に残った財産は相続税の対象外。理事の親族1/3以下要件の中で支配権を維持する設計が必要 |
| 個人開業 | 法人格がない | 「法人の承継」という概念がなく、後継医師が新たに自分の診療所として開設し直す(個人→個人の承継) |
医院を継ぐ医師(承継1)と法人の経営権を継ぐ人(承継2)は、医療法人なら通常は同じ医師になります。一方、一般社団法人は経営権を医師でない家族に持たせることもでき、設計の自由度が高いのが特徴です。どの法人格を選ぶかは、承継の出口を見据えて開業・法人化の段階で決めておくのが理想です。
2007年3月以前に設立された「持分あり」の医療法人は、利益の蓄積とともに出資持分の評価額が膨らみ、相続時に多額の相続税がかかる重大な問題を抱えています。これを解消する制度が「持分なし医療法人」への移行を支援する認定医療法人制度で、認定を受けて移行すれば出資持分にかかる税負担の問題を解消できます。この認定制度の期限は2029年(令和11年)12月31日までとされており、移行には数年の計画が必要です。持分あり法人の先生は、早めの検討をおすすめします。
個人の財産(自宅・預貯金・有価証券・生命保険など)は、配偶者やお子さま全員が相続人となり、遺産分割と相続税の対象になります。ここで医院承継特有の難問が生じます。
医師である長男が医院・法人を継ぎ、医師でない次男・長女がいる場合を考えます。医院の土地建物や法人の支配権を長男に集めると、他の子の取り分が極端に減ります。かといって財産を平等に3分割すると、医院の不動産が共有になって事業が回らなくなったり、長男が他の子に多額の代償金を払えずに行き詰まったりします。この調整こそが、医院相続の核心です。対策には次のような手段があります。
クリニックの土地建物や、持分あり医療法人の出資持分は、評価額が大きくなりやすく、相続税を押し上げます。事業用宅地には小規模宅地等の特例で評価を下げられる場合があり、適用要件の確認が重要です。「現金は少ないのに、事業用資産で相続税だけが高額になり、納税資金が足りない」という事態を避けるための事前対策が欠かせません。
医療法人(または一般社団法人)の院長は役員退職金を受け取れます。退職金は引退後の生活と相続・承継対策の要です。先生方からよくいただく質問にお答えします。
クリニックの院長には定年がありません。自分で開設・経営している以上、いつ辞めるかを自分で決められるのが勤務医との最大の違いです。だからこそ「区切り」が作りにくく、ずるずると続けてしまいがちです。リタイアの時期は、後継者の有無、退職金や老後資金の準備状況、そして次に述べる健康と意欲から逆算して、能動的に設計するものです。
開業医のリタイア(引退・閉院・承継)の年齢は、一般のサラリーマンの定年よりかなり遅く、おおむね60代後半から70代に広く分布します。70歳を超えて現役を続ける院長も珍しくありません。後継者がいて承継できる医院は60代で経営を譲り、後継者がいない医院は体力の続く限り診療を続けて70代で閉院する、という二極化の傾向があります。
リタイア時期を決める最大のポイントは、年齢でも売上でもなく、院長ご自身の「健康状態」と「仕事に対する意欲」です。診療は体力・気力・判断力を要する仕事であり、これらが落ちてくると、診療の質にも経営にも影響します。健康なうちは続け、衰えを感じたら退く── 当たり前のようでいて、これがいちばん難しい判断です。だからこそ、「健康と意欲がいつ尽きてもいいように、承継と退職金の準備だけは元気なうちに済ませておく」のが賢明です。準備さえできていれば、辞めどきを健康と意欲という本質的な基準で、心置きなく判断できます。
役員退職金の一般的な算定式は「最終報酬月額 × 在任年数 × 功績倍率」です。例えば最終報酬月額150万円・在任年数20年・功績倍率3.0なら、150万円 × 20 × 3.0 = 9,000万円が一つの目安になります。功績倍率は役職や貢献度に応じて設定し、医院の場合は2〜3倍程度が一般的な水準です。ただしこれは上限の目安であり、不相当に高額な部分は損金(法人の経費)として認められないため、職務内容・同規模法人の水準に照らして妥当な範囲に収めることと、金額の根拠を残し、社員総会・理事会の決議など正式な手続きを踏むことが重要です。退職金は退職所得控除を引いた後、その2分の1だけが課税対象という優遇された課税で受け取れるため、同じ額を役員報酬で取るより手取りが大きく残ります。
数千万円規模の退職金を引退時にいきなり用意するのは、資金繰り上の大きな負担です。そこで在職中から計画的に原資を積み立てておくのが定石です。代表的な方法は次のとおりです。
「いつ・いくらの退職金を・どの方法で用意するか」を引退時期から逆算し、早い段階から仕込むことが何より大切です。
退職金は「役員を退職した」事実に対して支払われるものなので、受け取った後も従来どおりフルタイムで経営し続けることはできません。ただし、辞めて一切働けなくなるわけではありません。実務では、理事長を退任して後継者に経営権を譲り、ご自身は一(ひら)の理事や非常勤の医師として、勤務日数・報酬・権限を大きく減らして関与を続ける形がよく使われます。これを分掌変更による退職金といい、(1)役員報酬がおおむね半額以下になる、(2)経営上の主要な地位から退く、といった実質的な地位の激変を伴えば、完全に辞めなくても退職金を支給できる場合があります。「いきなり全部やめるのは不安」という先生でも、第一線を退きつつ退職金を受け取り、無理のない範囲で診療を手伝う、という現実的な引き方が可能です。
退職金を受け取る前に院長が在職中に亡くなった場合は、「死亡退職金」として、法人からご遺族に支給することができます(社員総会・理事会の決議等の手続きが必要)。この死亡退職金には、相続税の計算上「500万円 × 法定相続人の数」までの非課税枠があり、生命保険金の非課税枠とは別に使えます。つまり、生前に受け取れなくても、適正な手続きを踏めば退職金はご遺族の生活資金として残せます。一方で、規程や決議の整備がないまま急逝すると、いくらを死亡退職金とすべきかの根拠が曖昧になり、税務上のトラブルや遺族間の混乱を招きます。だからこそ、退職金規程を整え、金額の考え方をあらかじめ決めておくことが、万一への備えになります。
相続が「亡くなった後に財産を分ける」話であるのに対し、事業承継は「生前に、医院と経営を次へ引き継ぐ」取り組みです。相続とは別の、能動的な準備が必要です。
後継者を選ぶとき、つい専門性(診療技術・経歴)に目が行きがちです。もちろん診療の質は大前提ですが、医院を長く続けてもらううえで、専門性と同等か、それ以上に重要なのが「人柄」と「仕事に対する取り組み方」です。理由は明確です。技術は後からでも伸ばせますが、患者・スタッフ・地域との信頼関係は、人柄と日々の姿勢の上にしか築けないからです。
結論として、「専門性は最低ラインを満たしていることを確認し、最終的な決め手は人柄と仕事への取り組み方に置く」のが、長く続く承継の選び方です。親族内承継でも、子だからと無条件に継がせるのではなく、この3つの観点で冷静に見ることが、本人と医院の双方のためになります。
事業承継・相続・退職金は、本来バラバラに考えるものではありません。院長が退職金で引退後資金を確保し、経営権を後継者へ移し、残る財産を遺言・保険で相続人に配分する── この3つを一つの設計図として描くことで、初めて「医院も、家族も、患者も守れる承継」が実現します。
お子さまが医師にならなかった、継ぐ意思がない、適当な親族もいない── 後継者不在は、いまや多くの開業医が直面する現実です。後継者がいない場合の出口は、大きく2つです。①第三者承継(M&A)で医院を引き継いでもらう、②閉院する。かつては閉院が一般的でしたが、閉院は設備の処分・スタッフの解雇・患者の行き場という問題を伴い、何より長年かけて築いた医院の価値がゼロになります。そこで近年、有力な選択肢として広がっているのがM&Aです。
医院のM&A(第三者承継)は、後継者を探している医師や、分院展開を進める医療法人へ、医院を引き継いでもらう仕組みです。進め方の基本は次のとおりです。
| メリット | デメリット・注意点 |
|---|---|
| 院長は譲渡対価(現金)を得て引退できる | 必ず希望額で売れるとは限らない(買い手次第) |
| 患者・地域医療を途切れさせずに残せる | 相手探し〜成約まで時間がかかることがある |
| スタッフの雇用を引き継いでもらえる(交渉次第) | 引き継ぎ後の方針が変わり、スタッフ・患者が離れる可能性 |
| 閉院に伴う原状回復・廃業コストを避けられる | 仲介手数料などのコストがかかる |
| 後継者教育の負担なく事業をバトンタッチできる | 譲渡後の一定期間、引き継ぎのため診療や立ち会いを求められることがある |
医院の譲渡価格に決まった定価はなく、買い手にとっての魅力で決まりますが、実務では「営業権(のれん)+ 引き継ぐ資産(医療機器・内装等の時価)」で大まかに評価されます。営業権の目安としてよく使われるのが「年間利益(役員報酬控除前の営業利益など)の2〜3年分程度」という考え方です。例えば年間の利益が2,000万円なら営業権は4,000万〜6,000万円が一つの目安となり、これに設備等の評価が加わります。ただし、立地・診療科・患者基盤(レセプト件数)・スタッフの定着・建物の賃貸借条件・自由診療比率などによって価格は大きく変動します。患者がしっかりついていて黒字が安定している医院ほど高く評価され、院長個人の腕に依存した医院は評価が下がる傾向があります。正確な金額は、決算書を基にした個別の査定が必要です。
M&Aを仲介会社経由で進めた場合、成約時に仲介手数料(成功報酬)がかかります。料率は譲渡金額に応じた「レーマン方式」がよく使われ、一般的には譲渡額5億円以下の部分で5%程度(金額が大きくなるほど料率は段階的に下がる)が目安です。多くの仲介会社には最低手数料が設定されており、その水準は会社により幅がありますが、おおむね数百万円〜2,000万円程度とされることが多く、小規模な医院ほど「料率より最低手数料」で総額が決まる点に注意が必要です。このほか、着手金・中間金がかかる契約形態もあれば、完全成功報酬型(成約まで無料)の会社もあります。契約前に「何に・いつ・いくらかかるか」を必ず書面で確認することが大切です。
これらは数年単位で進める対策です。相続税・会社法・医療法・社会保険が絡む複合的なテーマのため、税理士・行政書士・(必要に応じて)弁護士が連携して取り組むのが効果的です。
湯沢会計事務所は医業経営支援30年超。後継者の有無に応じた承継方針の整理、医療法人・一般社団法人それぞれの経営権承継、認定医療法人制度を使った持分対策、退職金プランの設計、遺言・生前贈与・生命保険を組み合わせた相続税対策、そして後継者がいない場合のM&A・承継のご相談まで、税理士・行政書士の視点で一貫して支援します。「まだ先のこと」と思われるうちに始めるのが、最良の承継対策です。初回相談は無料です。
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